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施工山本の城巡り~松代城~

施工山本の城巡り~松代城~

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城巡り~松代城~


 GWの5月3日(火)早朝岐阜県の岩村城を散策したあと210km。高速道も使って

途中渋滞もあり3時間かけて昼前には長野県長野市松代にある松代城に到着です。




 松代城は正確な築城時期は諸説あり不明ですが元々、海津城と呼ばれ甲斐国(山梨県)の

武田信玄信濃侵攻により、長野県北部の豪族を保護する越後国(新潟県)の上杉謙信

五度も戦い、双方が勝利を主張した川中島の戦いの最前線。






 武田勢の千曲川湖畔川中地域の最前線拠点の城郭として武田氏が家臣、山本勘助に命じ

築城された城なのです。





 1582年武田氏滅亡後は織田氏家臣、森長可の居城となりますが同年に本能寺の変が起こる

と森長可は信濃を放棄し退却します。






 上杉信玄死後上杉氏当主となった上杉景勝がはいりますが、豊臣政権五大老となり

会津藩に転封となると豊臣の蔵入り地となり城主として田丸直昌が入りました。





 江戸時代になると森忠政が兄の森長可の縁のあるこの地を田丸直昌と交換して入封しま

すが美作と津山藩に加増転封となってからは松平忠輝松平忠昌酒井忠勝と城主が変わっ

ていきます。


※ 本能寺の変で信長の刀持ちとして亡くなった森蘭丸は森長可の弟で森忠政の兄になります。




 その後、1662年に上田城から真田信之(1600年の関ヶ原の戦いで西軍豊臣方についた

父・真田昌幸と弟・幸村に対し東軍徳川方につき勝利し、真田家を残し、父弟の助命

乞い戦功により許され父の所領も加増され上田城を居城としていた)が13万石で入城し、

以後、松代藩の藩庁として明治維新まで真田氏10代の居城となり松代藩の政治の中心

となります。(真田時代になってから松代城というようになったようです。)





 城には天守台がありますが近世初頭にはすでに天守に相当する建物は失われていた

ようです。幕末まで本丸には四隅に二重櫓がありました。






 真田時代に城は地震(善光寺地震)や数回の火災で崩れたり、焼けたりしていますが再建

されていきます。





 1872年(明治5年)に廃城となり藩士に払い下げられ、花の丸御殿も再び火災により焼失、

多くの畑や宅地となります。





 その後 真田幸治氏(真田家12代当主)が藩士に分け与えた土地を買い取り、遊園地と

して開放し、戦後、公用地として寄付された後、昭和39年本丸を中心とした城址と新御殿が

国の史跡に指定され2004年(平成16年)太鼓門、堀、石垣、土塁などが復元されました。






 

 また付近には江戸時代末期の御殿建築である真田邸や真田宝物館もあり、観光客も

たくさん訪れています。





       ( 真田信之おしののぼり旗がなびいています。)



 その他にも近くには上級武士の屋敷を修景・復元した主屋、土蔵、長屋。川中島古戦場史跡

善光寺(松代藩が幕府から火災で焼失した善光寺の再建を命じられた縁で松代藩と繋がり

が深い)も近いので合わせてまわっているのでしょう。







 松代城と真田邸御殿を散策後。まだ昼の1:30です。

 この時期のGWだからこそ東京都内が空いてるのではないかと予想して江戸城に向かいます。

皇居です。


 施工 山本



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