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施工山本の城巡り~岩村城~

施工山本の城巡り~岩村城~

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 城巡り~岩村城~


 2022年正月に散策した岐阜県の苗木城の城巡りを前々回、紹介しましたが苗木城まで

行っておいて近くの岩村城には行かないのかと言われているのでGWの5/3、岩村城に

行っております。




 岩村城日本一高いところにある山城として、現存天守のある備中松山城(岡山県)、

城の高いところと低いところの高低差日本一高取城(奈良県)とあわせて日本三大山城

として有名です。




 当時の城の建物は残っていませんが多く残る石垣や石敷きの道はすばらしいのです。




 今回、本丸まで車で登れるため時間のかかる長く高低差のある石敷きの参道は登らなかった

ため石敷きの道の写真はありません。

 


 (現在、本来の本丸への道と違う方向から普通車なら本丸下の駐車場まで上がれます )


 いくつかある案内看板にスマホをかざすと当時の城の建物や橋が実際の画像に投影され

迫力のある姿に感動します。また城下町も当時の町並が残っており、町屋の見学もできる

ようです。




 1185年鎌倉時代初期に源頼朝家臣の加藤景廉が岐阜県の遠山荘地頭となり、遠山氏

名乗り長男、遠山景朝が岩村城を築いたのが岩村城の始まりとなります。





 遠山氏は岩村城を本拠地に木曽川北部の所領を確立していきます。(その後、苗木に

砦をつくり、1532年岩村城主遠山景前の弟、遠山直廉が築城したのが苗木城です)



    (高いところにある城のため天守を建てる必要はありません。)


 竹田氏、織田氏、徳川氏勢力に挟まれ、いずれの勢力も欲しがっている地でありお城でした。





 戦国時代末期、城主であった遠山景任が病死し、その妻、おつやの方(織田信長の叔母)

信長の五男御坊丸を養子として迎え、御坊丸がまだ幼少であったため、おつやの方が

実質的な城主となります。





 大変美しく聡明なおんな城主『おつやの方』は領民に慕われ領地を治めていきます。

信長にとっては織田の城となるわけでとても喜んでいたことでしょう。





 それを知ると武田勢は1572年武田氏24将の一人、秋山虎繁が侵攻してきます。

おつやの方は自ら采配を振るい籠城戦に持ち込み信長の援軍を待ちます。



   (城には籠城戦に備えたのかたくさんの井戸がありました。)



 しかし信長は長島の一揆の対応で進めず3か月の籠城となり食糧も不足していました。

秋山虎繁の女城主おつやの方を虎繁の妻にすることを条件に無血開城する申し入れに

城兵や領民を守るために仕方なく敵将の妻になることを呑み開城します。





 その後、虎繁といっしょになり城や城下の整備をすすめ平和に過ごしますが、御坊丸は

武田信玄のもとに人質送られ。岩村城も武田氏に乗っ取られてしまったわけなので信長が

面白くなかったことでしょう。しかし信玄の力が強く動けないのです。


 



 武田信玄が病死し、1575年長篠の戦い武田勝頼が敗北してからは武田氏が弱体化した

期に信長は嫡男、織田信忠に岩村城を攻めさせ、再び5か月にものなる籠城戦となります。





 武田氏の援軍も来ず、虎繁の助命と城兵や領民をまもる条件にて開城しますが、

信長は秋山虎繁を逆さ磔(はりつけ)で処刑し、それだけでなくおつやの方までも逆さ磔で

処刑してしまいます。前回の籠城の時の信長のくやしさはわかりますが、ここまでやる

ところは信長の激しい性格が出ていると思います。




 織田方の城になってからは織田氏による甲州征伐の戦果も信長は岩村城で報告を受けて

いたようです。





 信長の家臣、森氏などが城主をつとめていき、1600年の関ヶ原の戦いのあと、徳川方の

松平家乗(大給松平氏)が入城して江戸時代に入るとそれまで山の高い位置にある本丸に

住んでいた城主はその必要がなくなり城北西の麓(ふもと)に藩邸を建て、藩邸に住むよ

うになります。





 その後、1645年松平氏の上野国転封により三河国、丹波氏信が入城しますが

1702年お家騒動を起こし越後国に転封となったため信濃小諸城より松平乗紀が入り

明治維新まで再び大給松平氏の居城となりました。




 明治時代廃城令により城は解体され石垣のみとなります。藩邸は残されていましたが

1881年に全焼し、現在建っている藩主邸の一部、表御門、平重門、太鼓櫓は平成2年に

復元されたものです。



   (太鼓櫓の太鼓の音で城下へ時を知らせていたのでしょう。)



マンホールの蓋まで女城主押しのデザインで町全体がんばっているように思えました。





 以前、大河ドラマで『女城主 直虎』やっていました。

この女城主は同時期、静岡県浜松市井伊谷城において、のちに徳川家康を支えた徳川四天王

の一人、井伊直政の養母である井伊家22代当主井伊直盛の一人娘が戦乱の中、男どもが次々と

死んでいき、幼少の井伊直政の後見人として女性ながら事実上、城主となった次郎法師が男の名、

直虎と名のって井伊家を支えていく話です。



 さて、早朝散策とため城下町の見学町屋や店さえも開かないので町並散策もできないので

次の城散策行きます。



 以前、長野県の真田氏の城・上田城を散策した時に、近くにありながら真田の城として

有名な松代城に日が暮れてしまいたどり着けず帰ってしまったことがあります。

まだ、朝早いので時間たっぷりあります。 松代城(長野県)行ってみましょう、



  施工 山本


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