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施工山本の城巡り~忍城~

施工山本の城巡り~忍城~

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城巡り~忍城(おしじょう)~


 12月31日朝、小田原 小田原城石垣山城散策のあと車で120km走らせ 豊臣秀吉

小田原征伐の時に豊臣別働隊の北条氏の各支城が落城し、開城されていく中、

石田三成ひきいる豊臣勢が北条勢の成田氏の城は攻撃を抑え、水攻めにも持ちこたえ、

関東七名城の一つとされ、映画『のぼうの城』で有名になった忍城(おしじょう)

散策します。



 1478年地元豪族であった成田氏は、この地を支配していた扇谷上杉氏忍一族を滅ぼし

築城したのが始まり、翌年、扇谷上杉家に攻められるが太田道潅仲介のもと和解しこの地

を領有する。



1559年上杉謙信が関東に進出してくると成田氏は上杉氏に従い小田原攻めにも参加するが離反。



謙信に忍城は包囲され城下に火を放たれるも持ちこたえます。




 1590年豊臣秀吉の小田原征伐の際、城主成田氏長は北条氏の小田原城にて籠城。



 氏長の叔父成田泰孝が城代とし500人の兵と農民町人3000人でたてこもったのが忍城の戦い

映画『のぼうの城』の舞台です。



 秀吉勢総大将の石田三成は近くを流れる利根川を利用した秀吉が得意とした水攻め

をしようと総延長28km石田堤(いしだつつみ)をつくるも、水がうまくたまらず、

豪雨でうまくいくと喜ぶも逆に堤が切れて秀吉勢に被害がでます。



 忍城は浮く城、忍の浮き城という別名はこの時のことをいっています。



 忍城は落城せず、北条氏の小田原城の方が先に落城したことから開城となります。



 徳川家康が関東に入ってからは家康四男の松平忠吉が忍城に入り、江戸時代、徳川氏の

譜代、親藩大名の居城となります。



 阿部氏の時には御三階櫓が追加され城郭改修と城下の整備が行われます。


      (石田堤の展示 堤を切って断面展示してありました。)


 明治時代の廃城令により廃城となり、土塁の一部を残し取り壊されます。


    (石田堤の展示に当時水攻めの水につかったであろう範囲を現在地図に

                      色つけして悦明してありました)


 現在 模擬御三階櫓行田市郷土博物館の一部として建っており、街中には石田堤跡の

展示もされています。



 秀吉の小田原征伐の時に秀吉勢別働隊が忍城同様、北条勢の城として攻撃をうけ廃城と

なったが忍城と同じく関東七名城の一つとされている新田金山城が28kmの群馬県太田市

にあります。

自然地形を利用した部分と堀切や土塁以外は石垣や土間まで石敷きの遺構はマチュピチュ

天空の城ラピュタを連想できます。行ってみましょう。




   施工 山本


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