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施工山本の城巡り~長篠城~

施工山本の城巡り~長篠城~

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城巡り~長篠城~


 12月30日岡崎城から47kmに三河長篠城(愛知県新城市長篠)があります。

 1575年長篠の戦いに先立つ長篠城をめぐる攻防戦で知られるお城です。


 三河長篠は寒狭川大野川が合流する断崖絶壁にある交通の要衝であり、天然の要塞でした。

城は川と断崖で東から南、西までの守りは堅く、台地状の本丸北側の平地が広がっており

本丸北にが掘られました。その北に二の丸、また堀が掘られその外に三の丸、さらに北側

木柵が張りめぐらされた平城に分類されるお城でした。



 1508年 奥三河の土豪である菅沼元成が築城し長篠菅沼氏5代が居城とし戦国時代徳川家康

に服属していましたが武田信玄三河侵攻により武田軍に屈します。1573年信玄の死去により

武田軍の撤退後、家康によって攻められ、その後の武田軍の侵攻に備え家康により城は拡張

されました。現存の土塁はこの時のものだそうです。



 武田信玄の跡を継いだ武田勝頼が1万5000人の兵力で奥平信昌500人の兵力で守る長篠城を

攻め込んだのが長篠の戦いの始まりです。 長篠の戦いは1575年三河国長篠城をめぐり

3万8000人の織田信長・徳川家康連合軍と1万5000人の武田勝頼の軍勢の戦いです。



 また歴史の教科書にのっていた織田軍の当時としては異例の鉄砲3000新戦法三段撃ち

を行ったとして有名な戦いですが、現在 三段撃ちの実在が疑わしいとしている人も多い

ようです。

長篠城では500人の兵力ですが鉄砲200丁や大鉄砲があり、武田軍の猛攻により苦戦し食糧も

不足でしたが連合軍が到着までなんとか持ちこたえ城を守りぬくことができました。



長篠城の攻防戦で城のいたみ損害はひどく1576年奥平信昌は新城城を築城し長篠城は廃城

となります。

 1698年旗本一色直興が領地替えで長篠を領し陣屋を二の丸に建てていたようです。

現在 城跡は史跡に指定され帯曲輪跡には新城市立長篠城址史蹟保存館が作られ長篠の戦い

の資料が展示されています。



 さて長篠城から東南38km静岡に入りますが車で1時間したところに徳川家康が岡崎城

徳川信康(家康の長男)に譲り、新しく移った浜松城があり向かいます。浜松城は歴代城主の多くが

江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」といわれています。

これは行かなくてはいけません・・・。



 施工 山本


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