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施工山本の城巡り~小諸城~

施工山本の城巡り~小諸城~

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城巡り~小諸城~


5月2日、 上田城散策して車にもどってくるとPM:4:30.日暮れまでもう

少しあるので23km離れた小諸城(こもろじょう)に向かいます。

車で30分くらいの距離です。



平安時代東信濃の重要な拠点であったこの地に源氏・木曽義仲に仕えた小室太郎光兼

が館を構えたのがはじまりで、いくつかの勢力が侵攻し、支配が変わります。



戦国時代になると武田信玄が城郭を整備し、武田氏が滅びると織田信長の武将のもの

となりますが、信長が倒れると北条氏が小諸に侵攻します。



その後、徳川氏、北条氏、上杉氏、真田氏の争奪戦となります。1590年豊臣秀吉

小田原征伐で北条氏を打ち破り天下統一すると仙石秀久が小諸5万石で小諸城主となり、

この時、三層の天守が建てられ、現在 野面積み天守台が残っています。



この時、徳川家康関東転封となりますが、豊臣秀吉がなくなると、政権の事実上

の実権を握ったため、石田三成が挙兵し、1600年関ケ原の戦いへと進んでいくのです。



徳川秀忠(家康三男)は中山道に進み小諸城に入り、西軍の真田昌幸、幸村上田城

を攻めることになります(第二次上田合戦)。

秀忠軍は真田氏の時間稼ぎと抵抗に苦戦し上田城を落とせず、関ケ原の戦いにも間に

合わず面目をなくし、家康にも激怒されたという話は有名です。



江戸時代になると小諸藩の初代藩主となった仙石秀久は城郭整備や城下町や街道の

整備をおこないます。



その後、仙石氏は上田藩に転封となり、小諸藩は松平氏、青山氏、酒井氏、西尾氏

変わったあと新潟与板藩から牧野氏が移封となり10代170年、牧野康済の時に

明治維新となります。


         三之門

当時の建造物は天守台や石積のほか大手門、三之門が現存しており、二つの門は国の

重要文化財に指定されています。

大手門のほうは信濃鉄道を挟んだ向こう側あったようで場所がわからずたどり着けて

いません。



 小諸城は浅間山火山灰でできた崩れやすい断崖天然の要害とし、日本唯一、

城下町、三の丸、二の丸、本丸の順に低い位置に築かれており、珍しく『穴城

ともいわれていたようです。



現在 『懐古園』という観光地となっており、今回の日暮れ間近の散策では数人の人

しか見かけませんでしたが小諸固有のしだれ桜が咲き乱れるさくらの名所100

選ばれており、秋の紅葉スポットとしても有名な小諸城は美術館や動物園も整備され

いつもは観光客も多いお城のようです。



 城巡り が好きの人は、私のように上田城と抱き合わせで見に行くのかもしれません。

陽が暮れてきたので広島に帰ることにします。

車で夜、休憩しながら北陸道から山陰にぬけるので島根県安来にある月山富田城によって

みることにしましょう。


 施工 山本


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