スタッフブログ

施工山本の城巡り~上田城~

施工山本の城巡り~上田城~

記事掲載日:

城巡り~上田城~


 5月2日、富山城散策ののち長野県上田市の上田城の散策です。



 上田城は1583年真田昌幸によって築城されます。

真田氏は真田昌幸の父・幸隆武田信玄に仕えるころから頭角を現します。



 武田氏滅亡後、徳川氏北条氏との間で領地争いとなります。



 真田氏の所領であった上州沼田を北条氏に渡すことを条件に徳川家康北条氏直が和睦し、

当時徳川方についていた真田昌幸が家康の上田沼田譲渡要求を拒絶したのをきっかとして、

徳川勢7,000の大軍が真田の領地に攻め込みますが、真田は2000余りの城兵でしたが地の利

を生かし、術策を駆使し、徳川勢を押し戻し大敗さすことになります。(第一次上田合戦)

この真田氏の勝利は天下に鳴り響くことになります。



 豊臣秀吉の死後、豊臣政権運営の実権を握っていた徳川家康に対抗して石田三成

挙兵し、この後、天下分け目の関ケ原の戦いに進んでいくのです。



 真田氏もどちらにつくかで、家の存続が別れるために、真田信之(昌幸の長男)

は徳川側(東軍)に、真田昌幸、真田幸村(昌幸の次男)は石田三成側(西軍)に

わかれることにします。(犬伏の別れ



 西軍側についた真田昌幸は上田城に籠城し、関ケ原に向かう途中の徳川秀忠軍38000

の兵に少ない兵で対抗することになります。



 攻め込んでくる秀忠軍を戦っては退き、戦っては退きを繰返し、秀忠軍は上田城を

攻略することができませんでした。(第二次上田合戦)

秀忠は関ケ原の戦いにも間に合わず家康の怒りをかったようです。



 現在、上田城内にある真田神社は徳川軍の猛攻を二度も退け落ちなかった上田城

ということで受験に落ちないとかけられ受験祈願の神社としても有名になっています。



 関ケ原の戦いは西軍が敗戦したため、上田城城主には東軍についた真田信之が入り、

信之の嘆願により真田昌幸、幸村は九度山山への流罪ですむことになりますが、

大阪冬の陣、夏の陣では、真田幸村が再び登場し真田丸で大活躍、家康の首まで

もう少しのところで戦死します。



 江戸時代以降、真田氏の話は書物や舞台の題材で語られ、中でも『真田十勇士』は

徳川家康に果敢に挑む英雄武将として知っておられる方も多いようです。


         城外へ抜け道があるという伝説のある井戸


 その後、真田信之は長野県松代に転封となり、小諸城主だった仙台忠政が入り、

仙台氏三代にわたり上田城主となり、関ケ原の戦い後破却されていた上田城は再建

され7つの櫓、2つの櫓門が建てられ、現存する西櫓はこの時建てられた貴重なもの

です。



 1706年松平氏が兵庫県豊岡市出石から移封となり、明治の廃藩まで七代160年余り

にわたり上田を治めました。



 明治時代になり、西櫓1つを残したまま、櫓、櫓門は取り払われましたが城外に移築され

ていた現在の南櫓、北櫓として再移築され、1994年東虎口櫓門が復元されています。



上田城のホームぺージによるとこの門はアニメ『サマーウォーズ』の実家の屋敷門と

して登場しているため話題となっているそうです。



まだ 日が沈むまでもう少し、上田城の近くにある小諸城も散策します。



 施工 山本


 次のブログ  城巡りシリーズ  前回ブログ