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施工山本の城巡り~富山城~

施工山本の城巡り~富山城~

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城巡り~富山城~


 5月2日、福井城散策のあと、北陸にまで来たので、もう一つ日本海側の

加賀百万石前田氏の分家の居城であった富山城を散策することにします。



 1543年頃、守護代神保長職が築いたのがはじまりとされます。上杉氏など諸勢力

の奪い合いのあと、織田信長の時代になり、信長家臣の佐々木成政が越中を統一し

富山を得ますが、本能寺の変での信長死後、豊臣秀吉と対立し1585年秀吉自ら率いる

10万の大軍に城を囲まれ降伏(富山の役)し富山城は破棄されます。



 同年、前田利長前田利家の子)が越中三郡を得たのち、前田利家家督加賀

所領を譲られると尾山城(金沢城)に入城します。



 関ケ原の戦いで東軍につき江戸時代加賀藩初代藩主となった前田利長は富山城の

大改修をおこない金沢城から移り隠居城としますが1609年主要部の多くの建物を

焼失します。



 1639年加賀藩3代藩主前田利常の次男の前田利次が10万石で分家して富山藩

成立し、仮城として富山城に入城します。



当初は新たに城を築くつもりでしたが藩の財政が許さず富山城が居城として本格的

に改修していき、以後、富山前田氏13代の居城として明治維新を迎えます。 


富山城は四方を河川と水堀で二重に囲み、本丸の南側に二の丸、東西に出丸、それら

を三の丸で梯郭式に囲んだ平城でしたが廃藩置県により廃城、水堀も本丸の一部を除き

埋められていきます。

建物も一部、県庁舎や小学校として使われましたが焼失や解体されていきました。



 現在ある天守は1954年(昭和29年)富山産業大博覧会が開催され彦根城犬山城など

の現存天守を参考に建てられた模擬天守で、以後 富山市郷土博物館として運営され

ています。



 また、城址内にある佐藤記念美術館の外観も城風でなじんでいます。

 



 1849年前田利保が隠居のため東出丸に造営した千歳御殿の正門(千歳御門)が

2008年本丸、城址公園内に移築修復されており、唯一、当時の建物です。



 富山城散策駐車場にもどってくるとAM10:00。本日まだまだ 城散策いけます。



 富山は北陸道、飛騨街道の交わるとこ、岐阜にまわるか、もう少し行けば新潟となり

信州の入口なので長野にいくか悩むとこですが秋に岐阜のお城を散策しているので、

時間はかかりますが長野県上田市真田氏の城、上田城に向かうことにします。



 施工 山本


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