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施工山本の城巡り~福井城~

施工山本の城巡り~福井城~

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城巡り~福井城~


 5月2日、一乗谷城から福井県福井市大手にある福井城に向かいます。



 織田信長越前一向一揆平定戦功により越前49万石柴田勝家に与え、そのため

勝家は1575年に現在の福井県庁、福井県警本部のある福井城跡の場所に北ノ庄城

築城開始しています。




 7層の天守が建つ城郭は安土城のような巨大な城だったと伝えられ、これが

福井城の前進となります。



 北ノ庄城と同時期に建てられた柴田勝豊(勝家の甥)に建てられた丸岡城天守とも

城近くの足羽山で産出される笏谷石(しゃくだにいし)をつかった石瓦葺きの屋根で、

この石は青緑色で水に濡れると深い青色に変化するもので城を美しく見せていた

ようです。



 本能寺の変後の清州会議で織田氏の後継者問題で秀吉と勝家の権力抗争が始まり、

賤ケ岳(しずがたけ)の戦いで織田勢力を二分し戦うことになります。

 激戦の最中、勝家側の前田利家の軍勢が突如、戦線離脱し、さらに勝家側の不破勝光

金森長近の軍勢も退却したため勝家軍は崩れ北ノ庄へ敗走することになります。



 北ノ庄城に戻った勝家は1583年4月北ノ庄の戦いに敗れ、正室のお市の方(信長の

妹・小谷城の戦いで織田軍に攻められ浅井長政自刃から長政の正室であったお市の

方は救出されたのち勝家の妻になっている)とともに自害し城にも火が放たれ

北ノ庄城の建物は全焼します。

 (お市の方の娘、浅井三姉妹、茶々・初・江は秀吉に引き取らます。)



 その後、丹羽氏、堀氏、青木氏と城主がかわります。

1600年関ケ原の戦いの戦功一位となった結城秀康(家康の次男、初代松平藩主・

松平秀康)が68万石で北ノ庄城に入り、築城に着手し、本丸には4重5階の天守が

たてられました。



 3代藩主松平忠昌が『北ノ庄』を『福居』に改名、のちに『福井』と改名されます。

1669年天守が焼失し、藩財政と幕府への配慮から以後再建はされていません。


 本丸に建てられたいた 本丸復元図


 明治維新後、建物は解体し、現在、外堀は埋められ二の丸、三の丸は市街化され

ていますが内堀、石垣、天守台などの結城時代の遺構が残り、本丸跡には福井県庁、

福井県警本部の建物があります。



 内堀にかかる御廊下橋が復元されています。この橋は屋根付きで和歌山城に復元さ

れた御橋廊下ほどの大きさはありませんが屋根付きの珍しい橋です。



 北陸にまで来たので、もう一つ日本海側の加賀百万石前田氏の分家の居城であった

富山城に行ってみましょう。


 施工 山本


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