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施工山本の城巡り~大垣城~

施工山本の城巡り~大垣城~

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城巡り~大垣城~


 かつて戦国の中心だった岐阜は奪い奪われ多くの戦いがありその舞台になった有名なお城も

たくさんあります。

 2020年10月24日、岐阜の郡上八幡城岐阜城墨俣城を散策したあと、大垣城にまわります。



 大垣城は1500年に近江源氏の流れの竹腰尚綱が築城したのが始まりという説と1535年美濃

守護土岐氏の重臣宮川安定が築城した2つの説があります。宮川安定は本丸二の丸を整え、

1561年に氏家直元が大規模な改修を加えています。



 この地は交通の要衝であったため、めまぐるしく城主が変わります。1596年羽柴秀勝のあと

城主になった秀吉家臣の伊藤祐盛の時に天守が築かれます。



 1600年関ケ原の戦いの時に、石田三成が率いる西軍の拠点となります。これに対し清州城

拠点とした東軍福島正則黒田長政らは木曽川を越え岐阜城を攻略。大垣城北西のお勝山

陣取り、徳川家康も到着します。



 このため大垣城の西軍石田三成、島津義弘小西行長らは東軍の関西進出を防ぐため関ケ原

に向かいました。関ケ原の戦いでは小早川秀秋の裏切りにより半日で東軍が勝利しました。



 関ケ原の戦い後、東軍石川康通が城主として入りその後、総堀が加えられ、更に、松平忠良

の時に天守の改修をおこなっています、1649年戸田氏鉄が改築したのが城の最終的な姿とされ

ています。以降、明治維新に至るまで大垣藩戸田氏11の居城となっています。



 明治の廃城令により大垣城も廃城になっていますが、天守など一部の建物はこわされること

なく昭和11年全国でも珍しかった四層四階の構造の天守等は国宝に指定されますが昭和20年の

空襲により天守や櫓などが焼失してしまいました。



 現在の天守は昭和34年に鉄筋コンクリート造外観復元されたものです。乾(いぬい)隅櫓

艮(うしおとら)隅櫓西門内柳口門が復元され、本丸跡と二の丸跡が大垣公園として市民

の憩いの場となっています。



 施工 山本


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