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施工山本の城巡り~伊賀上野城~

施工山本の城巡り~伊賀上野城~

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城巡り~伊賀上野城~

 紀伊半島のお城をまわっています。

 9月20日(日)、和歌山城散策のあと、三重県にある『忍者の里』とも言われる伊賀の国伊賀上野城のある上野

公園を散策します。

和歌山城から車で2時間かかります。

                   (伊賀上野駅から伊賀上野城天守が見えます)


上野公園には伊賀上野城、伊賀流忍者博物館、この地出身の芭蕉記念館があり、シルバーウィークのこの日は観光客が

多く、駐車場を探すのに時間がかかります。


忍者博物館の方の忍者ショーや展示が人気なようで入城のゲートは長蛇の列、忍者姿の子供もたくさんいます。

大人までも忍者の格好をしてならんでいるので参加型の催しがあるようです。さすが忍者の里だと思います。

 伊賀上野城は 戦国時代、伊賀平定のため伊賀衆(伊賀の武術を使う土豪集団、傭兵など、簡単にいえば甲賀衆と

同じように忍者の集団)と織田勢が戦い、平定後に織田信長の次男の織田信雄の家臣の滝川雄利平楽寺の後に砦を

築きましたが、小牧・長久手の戦い(信長後継者争いでは味方だった秀吉と信雄の関係が悪化1584年の羽柴秀吉陣営

と織田信雄、徳川家康陣営の間の戦い)の時に脇坂安治により落城。その後、筒井定次が入り、城は改修され、三層の

天守も建てられています。


 豊臣の大坂方に対抗するため重要(家康が大坂方を攻め不利になった場合、籠城する城として備えた)だったこの城は

1611年に家康の命により、伊予宇和島城から築城の名手の藤堂高虎を入封させ城の拡張をおこないます。新規で5層天守

を建設していきますが、完成する直前に大嵐で天守は倒壊、大工、人夫180人が倒死、負傷者もたくさん出たようです。

高虎が豊臣方の武将であったため、大阪の陣により豊臣が敗れ築城は中止され、天守は再建されません。


本丸・二の丸の主要な屋敷を除いて未完成のまま江戸時代を過ごし、1854年伊賀上野地震により城内の建物が壊れ城

としての最小限のものが補修されています。明治時代に入り廃城令により廃城処分とされ、構造物の多くが取り壊さ

れました。


現在の天守は1935年に建てられた模擬天守で、同時期に鉄筋コンクリート造で建てられた大坂城の復興天守と違い木造

瓦葺きの白漆喰で建てられていますが、当時のものを再現したものではなく、 当時の五層天守の天守台に三層天守が

建ち、天守台の下から見ると今時の窓枠と障子が見えるのは、せっかくビルのように見えて少し残念に思います。



公園内の混雑もあり駐車場にもどってきたのは16時過ぎていました。明るいうちに近くの城にまわることにいかないし、

カーナビも渋滞を表示するため、そのまま帰っても広島は深夜。 山陰側に回り早朝の鳥取城を散策することにします。



 施工 山本


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