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施工山本の城巡り~和歌山城~

施工山本の城巡り~和歌山城~

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城巡り~和歌山城~

 今回は前回ブログの郡上八幡城より前にいった紀伊半島のお城をまわった時のお城の紹介です。

 9月20日(日)、車で休憩多めの6時間もかけ和歌山城にやってきました。

 和歌山城は和歌山市内中心部にあります。20年くらいぶりとなりますが、最初のMy城ブームを終わらせるきっか

けになったお城です。

当時も城の古い建物に興味がありましたが、あまり下調べをせずに見に来て姫路城伊予松山城と並んぶ日本三大

連立式(大天守、小天守、櫓群が渡櫓によって連ねられた城の形)平山城は綺麗で見事な外観に感動するも内部に

入って見ると鉄筋コンクリート造で、その構造体もそれらしく木造にみせるでもなく、しっかりビルの中に武具な

どの展示品がある状況にガッカリしてしまったことを思い出します。

.                        (一の橋、大手門)

今まわっている城巡りは、広島城大阪城熊本城などのように外観復元の鉄筋コンクリート造天守は当たまえ

に存在するのは分かった上で、下調べをして天守だけでなく城郭や歴史、撮影ポイントをチェックしていくので、

最初の城巡りとは違った興味で楽しく回っていけているのです。

(江戸時代の当時のまま残っている天守は12天守しかないのです。)

今回の和歌山城では見てみたい城の姿が写せる撮影スポットがあるのです。この時は曇り空でベストコンディ

ションの撮影ではありませんでしたが 『御橋廊下越しの連立天守』は絶景なのです。

御橋廊下は江戸時代には藩主とお付の者だけが生活の場である二の丸紅葉渓庭園のある西の丸を行き来する

ため外から見えないよう屋根と壁が設けられた斜めに架かる橋は珍しい構造であり、その先に見える連立天守

合わせて非常に美しく、今回 和歌山城に向かった理由です。

2006年に江戸時代後期に書かれた図面をもとに復元されたもので、以前来た時にはなかったもので存在も知りま

せんでした。   最近のネットや城特集の雑誌では必ず出ているので見に行きたくなった訳です。長さ約27m、

幅約3m、高低差3.4mの木造の建物は見事です。

 和歌山城は安土桃山時代1585年豊臣秀吉の弟・秀長紀州征伐の副将として参陣し、紀州平定後、伊予・和泉 

『若山』と言われたこの地は『和歌山』と改められます。1586年桑山重晴が城代に据えられ、次の桑山一晴

関ケ原の戦い(1600年)の時に東軍についたため、そのまま正式に紀伊和歌山2万石を与えられますが、まもなく

大和新庄藩(奈良県)に転封となります。

そのあと同じく東軍についた浅野幸長が関ヶ原の功により紀州藩主となり入城、城の改修を進め、1605年頃

下見板張り天守が建てられました。

 1619年浅野長晟の時に広島藩福島正則の改易後転封となり、徳川家康の十男、徳川頼宣が55万5千石で

和歌山に入城し徳川御三家紀州徳川家が成立しました。

 8代将軍徳川吉宗、14代将軍徳川家茂となっており、御三家のうちで唯一将軍を出した家なのです。

徳川頼宣の時の城の大改修と城下町の拡張は大規模なものであったため、幕府より謀反の嫌疑をかけられるほど

だったそうです。

江戸時代に出火や落雷により御殿天守も焼けて再建されるも、明治4年の廃城令により多くの建物は解体や

移され、残っていた天守などの11棟の国宝も1945年7月の『和歌山大空襲』により11棟すべてが焼失しました。

 現在建っている天守群は1958年鉄筋コンクリートにより再建されたものです。

その後、大手門一之橋御橋廊下が復元されています。

                      (岡口門)

さてせっかくここまで来たので三重県の忍者の里とも言われる伊賀の国伊賀上野城に行くことにします。



施工 山本


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