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施工山本の城巡り~能島城~

施工山本の城巡り~能島城~

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城巡り~能島城~

8月12日、今回は瀬戸内しまなみ海道まわりにある村上水軍(海賊)のお城をまわろうと思います。

村上水軍は金品や船を理不尽に奪う海外でいうパイレーツ(海賊)とは違います。 本拠地である島々が連なる

芸予諸島は、穏やかな瀬戸内海であっても島々の間の狭い海峡は潮の干満による激しい潮流が船乗りを悩ま

せる難所であったため、村上水軍が芸予諸島の海に生き潮を読み、地形を知りつくした水先案内人として、

また他の海賊からも守ることで通行料をとりながら安全な航海を保障し瀬戸内海の交易や流通の秩序をまもる

重要な役割を果たしまいた。

 南北朝時代に船を警固する小さな勢力は同族意識の強く、因島(いんのしま)村上氏が本州側の航路、

能島(のしま)村上氏は中間の航路、来島(くるしま)村上氏は四国側航路を抑える芸予諸島全域を掌握する

日本最大の水軍になりました。

 三つの村上氏はそれぞれ拠点の城と航路周りを守る城をいくつか海峡ごとに置いたようです。 今回は能島

村上氏が本拠地とした能島城に行ってみます。

能島城があった能島と近接する小さな鯛崎島はしまなみ海道の伯方島(愛媛)と大島(愛媛)の間にあり、島間に掛かる

しまなみ海道の伯方大島大橋を本州側から渡っていると左側に見える小さな二つ島です。  能島城周辺の海域は

干満時には激しい潮流で渦を巻き、敵の船がすることが難しく天然の海の要塞でした。

 来島村上氏は伊予国の守護河野氏の重臣として活動し、因島村上氏は大内氏に仕え、のちに毛利氏につき大きな

海の勢力になりましたが(厳島の戦いなどで重要な勢力であり、大内勢を破り毛利氏が戦国大名として大きくなって

いく)、この能島村上氏は独立性が強く、毛利氏、大友氏、三好氏、河野氏など周辺の戦国大名と友好関係になった

り敵対関係になったり独自の姿勢を貫きました。戦いの時には巧みに船舶を操り、火薬を使った手りゅう弾のような

武器を使った戦いが得意だったようです。

1585年豊臣秀吉四国攻めに従わなかったため、小早川隆景が難攻不落の能島城を強風の日に火をつけた大量のわらを

積んだ船を何百艘も潮に乗せて流したため、能島城全体が火に包まれ落城しました。その後、秀吉が天下統一をすると

豊臣水軍に加わりますが、秀吉の海賊廃止令により通行料が取れなくなり能島城は廃城になります。現在は無人島で当時

の建物はありませんが岩礁の桟橋あとに400個以上の柱穴が見られるようです。

潮流体験の船が出ていて島に近づけるようですが、船には乗らず大島側から遠目で見るのみです。

大島側には村上海賊ミュージアムがあり、当時の武器や武具の展示が見学できました。

では帰り道に因島村上氏関係の因島にも行ってみましょう。            

 因島村上氏の本拠地は長崎城(因島)から余崎城(向島)、その後、青木城(因島)に移っています。

長崎城は因島の南の半島に築かれて以前は岩礁に桟橋の柱穴があったようですが今はコンクリートで埋められている

ようです。 余崎城は向島南部の観音崎に曲輪は残っているようですが入口が私有地で行くことができないそうです。

 青木城は因島の北西部にある独立丘陵に築かれていたようですが残ってないようなので、近くに因島村上氏の城で

ある片苅城があります。その麓に片苅城の家老が住んでいたと伝わり、因島村上氏の菩提寺である金蓮寺の境内に

ある外観が城の姿で『因島水軍城』という因島村上水軍資料館が建てられています。


せっかくなので見に行ってみました。本当はそこにその櫓があったわけではありませんが、なかなか景色になじんで

格好よい櫓です。やはり城の建物が好きなので城に建物が建っているのを見ると城らしくてわくわくしてきます。



近場の建物が建っているお城は行ってしまっているので行く城が無くなってきました。次にどこのお城に行くか悩む

ところです。


施工 山本


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