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施工山本の城巡り~赤穂城~

施工山本の城巡り~赤穂城~

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城めぐり~赤穂城~

 7月5日 城巡りをするのは久しぶりになりますが、兵庫県の赤穂市にある赤穂城を散策します。車で広島市内

から高速を使い2時間半で着く距離です。

赤穂といえば『忠臣蔵』を誰もが思い浮かべると思います。浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみ)が江戸城松の

廊下で、吉良上野介(きらこうずけのすけ)に刃傷に及んだため、鎌倉幕府以来、喧嘩両成敗が慣例であるのに、

浅野長矩は切腹、吉良上野介はお構いなしという処分に、1702年大石内蔵助を首領とする赤穂浪士四十七士

吉良邸に討ち入り主君の仇を討った事件は幕府の政道を問う大事件で世論は赤穂浪士に同情しました。現在でも

テレビドラマや映画、時代物小説ででてくる話です。

                           (大手隅櫓)


赤穂城は室町時代に播磨一帯を支配した赤松氏一族の岡豊前守が居館を築いたのがはじまりで、加里屋城といい

ました。

 戦国時代には、岡山城宇喜多秀家が支配し、支城とします。1600年関ヶ原の戦いで宇喜多氏が敗れると、

姫路城 池田輝政の支城となります。

                        (大手門)

 その後1615年に輝政の五男池田政綱が2万5千石を与えられ入城し、これが赤穂藩のはじまりです。1645年2代

池田輝興が発狂して正室の黒田長政の娘を殺害したため、赤穂池田氏は2代で廃絶となります。

       (江戸時代の平和な時代になっての城郭ですが、防御の縄張りの特徴『桝形の縄張り』

                         門を入ってきた敵を四方の建物から攻撃できる)


 常陸笠間(茨木県笠間)から浅野長直(浅野長政の子、初代広島藩〈広島城〉浅野長晟の弟)が5万3千5百石で

入封となり、池田氏の建物を13年かけて近世城郭を築き、城下町の整備とともに、塩田の開発に力を注ぎ、赤穂

浅野家は繁栄していきますが1701年3代浅野内匠頭長矩(ながのり)が江戸城松の廊下で、吉良上野介義央(よしなか)

に刃傷に及んだため、浅野長矩は切腹、浅野氏改易となり、城は播磨龍野藩主脇坂安照の預かりとなるが、脇坂氏

在番中、脇坂氏の家臣が乱心して同僚を赤穂城内で切り殺す事件が起きています。

 その後、永井直政が3万3千石で入封、続いて1706年 森長直津山藩2代藩主森長継の八男)が2万石で入封、以後

森氏11代で明治維新を迎えますが、幕末1862年攘夷派が保守派の家老森主税を暗殺する事件も起きているため、

長い歴史の中にどの城もいくつかの殺傷事件が起きているのかもしれないし、発狂したとか、乱心したとかの言葉で

くくられてしまうのかもしれませんが池田氏も浅野氏も脇坂氏も森氏でも起きているのは何かお城にありそうと思っ

てしまいます。

 ちなみに浅野長矩は切腹の時に、弟・浅野長広も連座となっていましたが1709年将軍綱吉死去に伴う大赦で許され、

1710年徳川家宣から安房国朝夷郡・平郡(千葉県)に500石の所領を与えられ旗本に復しました。赤穂浅野家は旗本

ながら御家復興を果したということになります。

              (本丸全体も堀と高い石垣でかこまれています)


 赤穂城は赤穂市のシンボルであり、赤穂浪士の故郷です。1971年に国の史跡に指定されてからは失われたいくつかの

建物が復元されています。五稜郭の城郭のようにきっちりとした星形ではないが変形輪郭式の珍しい近世城郭で当時

は南側が瀬戸内海に面した海城でした。敷地は大変広く、12の城門と10の隅櫓が設けられていました。

                 (本丸に入ってからも『桝形』の縄張り)


当時本丸には本丸御殿が建っていましたが、昭和になり赤穂中学校(のちの県立赤穂高校)が建てられますが、

国の史跡に指定されたのちに移転され、現在の本丸は本丸御殿の配置に基礎をつくり間取りがわかるように展示

してあります。

                  (手前、本丸御殿の間取の展示、奥の天守台)


 また、立派な天守台が残っていますが5万3千5百石しかない浅野家にとって広すぎた赤穂城は財政難をまねいたのか

天守は建造されていません。12月に行われる赤穂義士祭では、天守台に建築用の仮設の鋼管足場で天守のシルエット

が組まれLED電球を飾りライトアップされ、最近では天守台にプロジェクションマッピングも投影されたこともある

そうです。

 祭の忠臣蔵ウィークには赤穂義士パレード(歌舞伎役者や俳優も参加)や産直市やいろいろな催しがあります。

こういうのは盛り上がりますよね。

 そのほかに城内は大石邸長屋門、近藤源八正憲邸長屋門が残っていますし、大石内蔵助と藤井又左衛門の屋敷跡には

大正時代赤穂大石神社が建立され。赤穂浪士四十七士像も展示されており、合格祈願、厄払いなどで参拝者も多いよう

です。実際散策しているときに厄払いをされていました。

 

                       (赤穂大石神社)


 兵庫県には姫路城や天空の城・竹田城など有名なお城が多いですが、そのほかに赤穂城も行きたかったお城です、

もう一つ行きたいお城があります。それは明石城です。

兵庫赤穂まで来たので兵庫明石市明石城まで80km。行って見ましょう。


施工 山本


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