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施工山本の城巡り~唐津城~

施工山本の城巡り~唐津城~

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前回に続き、新規でお城巡りしていないのですでにまわっている城巡りの中から紹介していきます。

 3月20日に『九州 弾丸!のお城巡り』6城まわっている最後のお城となります。

 中津城→小倉城→福岡城→久留米城→熊本城→唐津城(佐賀)


城巡り~唐津城~

 熊本城から唐津城のある佐賀県唐津市は2時間くらいかかりました。九州には島原の乱で有名な島原城という

大きなお城もありますが、フェリーだと30分で渡れるけど車を乗せると高いし、陸路で熊本城からは明るいうち

に着けないし、暗くなると、島原の乱の時のお化けに合いそうで怖いので、島原城には行かず、島原の乱の原因

となったという寺沢広高と2代堅高の居城であった唐津城にいくことにしたわけです。

 広高と2代堅高キリシタン弾圧が非常に厳しく、島原の乱勃発の原因となったといわれているのです。

 また、城の前にある舞鶴橋手前から見る唐津城天守は非常に美しく、名城絶景の画像として以前雑誌で見ていた

ので、夕焼けに染まるお城の姿を期待して熊本城から車を走らせます。

到着は18:40 なんとか、まだ天守が見える明るさですが、撮影場所を探す時間もなく、城へあがるのもあきらめ、

遠目での撮影しかできませんでした。

 唐津城豊臣秀吉の家臣の広高がこの地に封じられます。関ヶ原の戦いでは東軍(徳川方)につき(秀吉家臣だった

ので西側につくのではないかと考えるのに東側についていることが城巡りするなかで武将を調べると実に多いと思い

ます。秀吉がなくなると豊臣家を守ろうとする石田三成側に反する武将がたくさんでているようです。本当は秀吉が

きらいだったか、三成が嫌われていたのではないかとか想像すると面白いところです。)加増となり1602年から

13年かけて築城した城は朝鮮出兵の前進基地だった名護屋城(佐賀県唐津)の解体資材も使われたそうです。

島原の乱鎮圧後、寺沢堅高は面目を失い自殺、跡取りなく断絶。その後 譜代大名が入れ替わり城主を務めていき

明治維新を迎えます。 建物は解体され舞鶴公園として整備されます。

 唐津城の天守はその存在を示す史料はなく、築城時からなかったという意見が大勢ではありますが、

天守台があるかぎりは築城時あったものが失われたとも, 建てるつもりだったが幕府に気をつかって建てなかった

とか諸説あります。

現在建っている天守は昭和41年に鉄筋コンクリート造で建てられた模擬天守で内部は郷土資料館など観光施設

で唐津市民のシンボルになっているそうです。

後で知りましたが夜はライトアップされ美しいそうです。もう少し待てばライトがついていたのかもしれません。

改めてゆっくりとまわり、ゆっくり『唐津のイカの活造り』も食べるべきですね。


 昨年の6/5に城巡りブログあげはじめ一年となり、30回目で36のお城を紹介してきましたが、まだまだ 行きた

い有名なお城がたくさんあり楽しみにしています。


施工 山本


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