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施工山本の城巡り~熊本城~

施工山本の城巡り~熊本城~

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前回に続き、新規でお城巡りしていないのですでにまわっている城巡りの中から紹介していきます。

 3月20日に『九州 弾丸!のお城巡り』6城まわっています。

 中津城→小倉城→福岡城→久留米城→熊本城→?


城巡り~熊本城~

久留米城から熊本城は1時間半くらいで着きます。

熊本城には40年前、中学の修学旅行で行って以降6回以上は来ているお城です。

                     (早咲きの桜超しの未申櫓)

2016年4月14日の熊本地震の1週間前にも散策しています。地震で大変な被害があったのをニュースで確認し、

大変なことになったと思っていました。この4月で地震から4年たちました。どこまで復旧しているか、今回の

『九州 弾丸!お城巡り』を計画するのにあたり最も行きたかったお城なのです。

                        (石垣が抜けてしまった馬具櫓)

熊本城は豊臣秀吉九州征伐のあと茶臼山隈本城佐々成政が入りますが、肥後国人一揆を鎮めることができず

切腹を命じられます。その後、築城の名手と言われた加藤清正がその後を継ぎ、もっと堅固な城にするため、近くの

千葉城(出田氏が築いた千葉城が手狭だったため、次の鹿子木氏が隈本城を築城後に廃城になっていた城。)も取込み

茶臼山全体に1601年に築城に着手。難攻不落の城と恐れられたほどの堅固な城を築きます。

この時に城の名前も『隈本城』から『熊本城』と改めます。

加藤清正は関ケ原の戦いでは東軍(徳川方)についていますが、もともと豊臣恩顧の大名であり、跡を継いだ

加藤忠広の時、徳川幕府の豊臣恩顧の大名潰しで謀反の疑いをかけられ加藤氏は改易となります。その後に

小倉城城主細川忠利が肥後54万石の熊本城主となり、細川氏は11代居城とし、明治維新を迎えます。

明治10年西南戦争では落城には至らず近代の火器や戦法にも耐えうる堅固な城であることが証明されることとなります。

有名な反り返った石垣だけでなく、清正は持久戦になった時の対策として、多くの井戸を掘り、城内の建物の土壁には

かんぴょう」を入れ込み、畳床は『わら床』でなく「ずいき(里芋の茎を乾燥させたもの、現在でも食用として生産さ

れている)」で畳床がつくられ、持久戦時の食糧のことも考えた実践を考えたお城でした。

しかし西南戦争で天守や多くの建物が焼失し、天守は1960年に鉄筋コンクリートで再建されました。

櫓や城門は国の重要文化財、熊本城跡としては国の特別史跡とされています。

その後、本丸御殿も再建されていましたが、熊本地震では甚大な被害を受けました。

復旧工事中のお城がどこまで修繕されているかが、今回の城巡りの見るべきところです。

 

天守の修理画像はテレビなどでよく紹介されていますが、まだ手つかずの建物、石垣がたくさんあります。

石垣の石一つ一つ、パズルのように地震前の写真を見ながら積み直すそうです、よく見ると石ひとつひとつ番号が

うたれ、保管されている様子も見られます。

 瓦も修理に使うのか、相当の量が、分別され保管されていました。

テレビでは20年くらいかけての修理される話がされていて、長い修理期間と思っていましたが、実際現場に行って

手つかずの建物、石垣がたくさんあるのを見ると、20年で終わるのか心配になります。

熊本城を出る頃はPM.4:30です。日が暮れるまでに次ぎのお城に着けるでしょうか。

次は佐賀県にある唐津城に向かいます。


施工 山本


城巡りシリーズ