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施工山本の城巡り~小倉城~

施工山本の城巡り~小倉城~

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前回につづき新規でお城巡りしていないので すでにまわっている城巡りの中から紹介していきます。

 四国につづき、3月20日に『九州 弾丸!お城巡り』6城まわっていきます。

 中津城(大分)→小倉城(福岡北九州)→?


城巡り~小倉城~

中津城から小倉城は高速に乗れば1時間くらいで着きます。中津城を朝焼け散策後すぐの小倉城

散策となり、ここでも早朝、誰も歩いていません。

                          (小倉八坂神社)

北の丸跡にある八坂神社で早朝参りしていた方を見かけたくらいです。

この八坂神社の祭りである小倉祇園太鼓は有名です。

  ※小倉祇園太鼓ー小倉北区で行われる江戸時代から400年の古い八坂神社の例大祭、京都の祇園祭、

  博多の博多祇園山笠とともに「全国三大祇園」にかぞえられます。

 小倉城天守は外観4層、内部は5階建てで4層目が上下2段に分かれ下階より上階が張り出し4階部分の庇かわりになって

おり、岩国城でも紹介していますがこの形式を『唐造り』と言われ珍しい様式です。張り出している5階は黒塗り下見板

4階までは白漆喰壁の個性的な外観天守は当時評判を呼び、津山城天守や讃岐高松城天守への参考にされたほどでとても

美しい天守です。

関門海峡に面する小倉の地は交通の要衝として、この地を抑えるため豪族が古くから砦を構え、また その攻防を繰り

ひろげていた地域です。小倉城は戦国時代末期に中国地方の毛利氏が築いたのが始まりです。その後大友氏から寝返り

毛利方になっていた高橋鑑種が城主となります。1586年の秀吉による九州征伐後は毛利勝信(森勝信が秀吉の命で毛利姓

となる)が6万石で入封となります。関ケ原の戦いで西軍につく毛利勝信は改易となり、豊前、豊後国39万石で細川忠興

入封し中津城に入りますが、小倉城改築に着手、完成後は小倉城を居城とします。家督を嫡子細川忠利にゆずって

からは中津城が細川忠興の隠居城となりました。1632年熊本城加藤家の改易により細川家は52万石で熊本藩転封、

 その後を織田信長と徳川家康を曾祖父にもつ小笠原忠真(細川忠利とは義兄弟、中津藩小笠原長次の叔父)が明石藩から

15万石で入封。以後、幕末まで小笠原氏の居城となります。

1837年本丸御殿、天守を失火のため焼失し、2年後本丸は再建されますが天守は再建されていません。

1865年の幕府の第二次長州征伐の時には、長州藩の奇襲に大混乱、残っていた城郭も自ら焼き払われています。

現在の天守は続櫓とともに昭和34年(1959年)に鉄筋コンクリート造で外観復興による再建されたものです。

当時、天守になかった大入母屋破風千鳥破風唐破風が追加されており、お城をよりかっこよく見せるための

設計の変更もあったようです。

戦後、復興のシンボルとして各地の天守が多く再建されていく中、復旧というだけでなく、我が地の城をよりよく

見せたいという気持ちで追加していったのかもしれません。

 次は同じ福岡県にある黒田氏が中津城から大幅加増の52万石で筑前国に移封になり居城とした

福岡城に向かいます。

施工 山本


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