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施工山本の城巡り ~中津城(大分)~

施工山本の城巡り  ~中津城(大分)~

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今回は新規でお城巡りをしていないのですでにまわっている城巡りの中から紹介していきます。

 それでは四国に続き、3月20日に『九州 弾丸! お城巡り』一日で6城まわっています。


城巡り~中津城~

AM1:00広島出発、高速を使いまだ暗いうちに大分県中津城に到着、夜明けを待っていると、

朝焼けに染まった中津城が現れます。

中津城今治城讃岐高松城と並ぶ日本三大水城(海城)のひとつに数えられ、海水を堀に引き込んだ

お城です。

黒田官兵衛(如水)が秀吉より豊前国12万3000石を与えられ領地の中心である山国川河口に築城し

はじめました。黒田氏は関ケ原の戦いで東軍徳川につき戦功を上げ筑前に52万石に加増で転封になり

築城中断。その後を豊前、豊後国39万石で細川忠興が入封し中津城を完成させていくとともに

関ケ原の戦いまで毛利氏の居城であった北九州小倉の小倉城改築に着手、小倉城を居城しました。

家督を嫡子細川忠利にゆずってからは細川忠興の隠居城となります。

1632年熊本城の加藤家の改易により細川家が熊本藩に転封、その後を小笠原長次が8万石で中津に入封、

中津藩が成立、中津藩主の居城となります。

 1717年江戸時代中期から奥平昌成が藩主となり、以来奥平家がつづき明治維新をむかえます。

江戸時代の絵図「中津城下図」には天守は描かれていません。しかし黒田官兵衛の当時の手紙には

「天守に銭を積んで蓄えた」とあり、天守があったのかなかったのか諸説あり解っていません。

 現在の天守は 昭和39年(1964年) 旧藩主奥平家が中心となり、市民の寄付も合わせ北東隅櫓跡に

観光開発目的萩城天守をモデルに鉄筋コンクリート模擬天守が建てられます。

当時の絵図がないことで自由に他の美しいお城をモデルに建てられたのか下見板張りの黒天守は模擬天守

とは思えない貫禄です。

早朝のため誰もいない城内をまわっていると静けさのなかで凛として朝焼けに染まった天守は本当に

美しい姿なのです。

天守だけでなく城好きの人の中には城の石垣好きの人がいます。中津城も石垣好きの人には面白い

ようです。

城の石垣を見ていくと見た印象が違う部分があるのに気がつきます。九州最古のものとされる黒田氏時代

もの。  継いで積まれた細川氏時代のもの、積み方が違うので境がはっきりわかり面白いところだ

そうです。時代が古いほうの黒田氏時代のほうが几帳面に面が合わされきれいに積んであるように思えます。

城造りの名手といわれる黒田官兵衛だからこそなのかもしれません。

.・                 ・(左、細川時代の石垣、右、黒田時代の石垣)

 桜の時期には桜の中津城もきれいだそうですが、訪れた季節にはつぼみも固く見ることはできませんでした。

それでは細川忠興が中津城といっしょに完成させ、居城とした小倉城へまわります。


施工 山本


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