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施工山本の城巡り~弘前城(青森)~

施工山本の城巡り~弘前城(青森)~

記事掲載日:

12/30 函館五稜郭をまわり、午前中のうちに
新幹線を使って新青森まで戻ってきました。
『JR青春きっぷ』を引き続き使い弘前に向かいます。

弘前駅からは100円バスを使い弘前城へ。


城巡り~弘前城~

雪のため真っ白な弘前城でした。

五稜郭では道が凍っているという感じでしたが
弘前は気温が高いのか、緩んだ雪でした。

東北唯一の現存天守(江戸時代以前の建物)弘前城は
1590年、津軽地方の統一した大浦(津軽)為信が
秀吉から4万5千石の領地を得ます。

その後、関ケ原の戦いで東軍につき、
家康より更に2千石の加増を受け弘前藩が成立します。

弘前城の築城が計画され、
1611年二代目津軽信枚の時代に弘前城が落成しました。
1627年弘前城天守(五層の大天守は武器、火薬庫として使われていた)は
落雷で大爆発焼失します。

武家諸法度により自由に城や天守の建築は制限され、
約200年天守のないままの状態が続きます。

1810年櫓の移築の名目の願書で幕府に許可をとり
隅櫓を改造する形で新築されたのが翌年完成した三層の現在の天守です。

現在天守の石垣がゆがんでふくらんだ「はらみ」の状態がみられたため、
大地震での崩壊の危険を指摘され、
高さ14.4m、総重量約400tの天守は
約3か月曳屋(ひきや)により建物のまま移動され石垣の工事中です。
(手前石垣が天守のあった位置、奥の天守位置へ移動しています)

新しい道をつけるためとか道路拡張の時に、
代々受け継いで家を残したいとのことでの古民家の曳屋はたまに見ますが、
400tの天守の曳屋は迫力があったと思います。

天守の曳屋は明治時代にもおこなわれており、
櫓の移築という名目で幕府に許可をとっています。

そのため、もとの五層大天守位置でなく
天守を立てる想定で石積みされなかったのであろう
石垣の隅に隅櫓のように建てざるをえなかったことが
後世の修復工事が必要になったのかと想像します。

※曳屋(曳家)=家引きとも言われ、歴史的建造物の維持保存、
 或いは建築物を解体せずに別の場所へ移動する場合に活用される建築工法。
 時間をかけて少しずつ土台(または基礎)からジャッキアップしてそのまま移動させる工法です。

天守内部には入れなかったため、内部の木組みが見られていませんでしたが、
雪が多い場所のため外部の屋根は最上階まで(たぶん屋内から持ち出し
腕木に梁をかけ、また隅木までも2重にして外側で垂木を受けることで、
屋根垂れを防いでいる様子です。

腕木を出して持たせている城も多いのですが
最上階まですべて腕木はすくない印象があります。

弘前城から見える岩木山も雄大ですばらしい。

雪で全体像が分かりにくかったのですが、桜で有名なお城なので、
石垣修理天守が戻された桜の頃にまた訪れたいと思います。

う~ん それと今回オリンピック開催時期と重なるため断念した
8月ねぶた祭時期に訪問して『ねぶた祭』も絡ませるのもやっぱりいいですね。

昨年5月からまわっている現存天守12か所(江戸時代以前の建物)を制覇です。

現存天守すべてまわることができましたが、
現存天守がないお城でも、石垣がすごいとか、修復中で現在見られないお城とか
たくさん残っています、いろいろ散策していきます。

二日かけて『JR青春きっぷ』で普通、快速電車を乗り継ぎ、
日本海まわりで新潟、長野経由で名古屋に抜けて帰ります。


施工 山本

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