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施工山本の城巡り~二条城・大阪城~

施工山本の城巡り~二条城・大阪城~

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今年訪れたお城の紹介は今年のうちに!
ということでハイペースの更新となりました。

今回もぜひ読んでいってください。


城巡り~二条城~

11月16日伏見城から11km、二条城は京都市二条にあります。
20年前に見学して私の城好きに火をつけたお城です。

さすがに観光客が多く開園AM8:45前にはチケット売り場前は長蛇の列です。
京都が誇る世界遺産二条城は1603年家康により京都御所の守護と上洛した際の居城として築城され
現在の城の原型が整ったのは家光の時代なります。

国宝二ノ丸御殿の正門となる唐門は重要文化財であり、
後水尾天皇行幸の際に設置され、
堂々たる唐破風や極彩色の彫刻が特徴で日光東照宮を連想させる門です。

気になるのは菊の御紋の数です。菊の御紋だらけなのです。
これは明治以後、徳川家から皇室所有になり『二条離宮』となった時代があります。
徳川の葵の御紋を隠すように皇室の菊の御紋が貼り付けてあり、
葵の御紋も残っているそうですが、今回探すも見つけられていません。

唐門を抜けると二ノ丸御殿が正面に見えます。
よく二条城画像として紹介しているアングルです。

二ノ丸御殿内は写真撮影禁止なので、残念ながら画像はないですが
見どころはたくさんあり、是非とも見にいくべきだと思います。
天井は高く、部屋数33、すべてを足すと約800畳の大空間、
障壁画や多彩な欄間彫刻、歩くとちゃんと鳴いてくれる鶯(うぐいす)張りの廊下、
中学、高校で教科書の挿絵に出ていた大政奉還の場となった大広間、
今回二度目になりますが感動してしまいました。

二ノ丸奥の本丸は御所の北にあった旧桂宮邸が明治の時代に移築されています。

徳川の二条城とは無関係ですが、ここも他のお城と同様に
耐震性の不足の判断のため現在工事中です。
天守台から外観足場養生の様子が分かります。

天守は家康の築城時のものは家光の時代に淀城に移し、
廃城になった伏見城天守が二条城に移されていますが、
1750年落雷で焼失後、再建はありません。

天守の再建はありませんが、江戸時代までの御殿が現存するのは
高知城、掛川城、川越城と二条城の4つのみで、
国宝指定をうけているのは二条城のみ、と重要なお城です。

駐車場に戻ってきたのはAM9:30。まだまだいけます。それでは大阪城に行ってみます。


城巡り~大阪城~

大阪城についたのはAM10:00頃。

大阪城は淀川の側、淀川を登ると京都に繋がる交通の要衡でした。

『太閤秀吉の城』と親しみを込めて呼ばれていますが
秀吉の築いた遺構は大阪夏の陣で豊臣氏の滅亡とともにすべて埋没しています。

現在地表にある大阪城は徳川秀忠が施した徳川大坂城の遺構になります。

江戸時代は度々火災により損失と修復をくりかえしたようです。
王政復古の大号令の後、二条城を追われた前将軍、慶喜が居城としていましたが
鳥羽伏見の戦い後江戸に退却、大阪城は新政府に開城されましたが
前後の混乱のうちに出火、城内の建物のほとんどが消失しました。

1928年(昭和3年)復興天守1号として天守が再建、大阪城公園も開園されました。

徳川時代の天守台石垣に新たに鉄筋鉄骨コンクリートで基礎を固めた上に
鉄筋コンクリート造で建てられ、建物内は博物館となっています。

外観は『大阪夏の陣図屏風』をもとに設計され、
初層から4層までは徳川時代の白漆喰壁として、
5層は豊臣時代風に黒漆になっています。

徳川の天守台に秀吉の形の城が立ち、
外装も徳川の外装の上の5層が豊臣風というのも
皮肉で面白いところです。

太平洋戦争中は城内に火砲、車両などの重兵器を生産する大阪砲兵工廠が設けられたため、
太平洋戦争中には米軍爆撃機の的になっていたようです。
天守台の石垣に弾痕は残っているそうですが復興天守は無事でした。

1995年から1997年平成の大改修があり、
5層目の黒漆に金箔の虎や鶴がより鮮やかに見えます。
屋根に見られる緑色は名古屋城と同じ銅板瓦の緑青によるものです。

内部の展示には日本らしく、リアルなミニフィギュアが戦の様子を見せる展示に
外国人が見入っていたのが面白かったです。

大阪城見学がAM10:30に終わり、間に合いそうなので帰りに姫路城によろうと思います。

施工 山本


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