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施工山本の城巡りその8 ~今治城、松山城~

施工山本の城巡りその8 ~今治城、松山城~

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今回の城巡りは四国の天守のあるお城をまわります。

今治城

8月11日、台風が発生しており台風が来るまでに急いでまわろうと
しまなみ海道をわたり今治に到着、朝一のAM5:00
まわりが明るくなってきました。 

今治城が姿を現します。

関ケ原の戦いの戦功で20万石を領した城作り名人といわれる藤堂高虎が
内堀に海水を引き入れた珍しいお城で明治維新後に建造物がほとんど取り壊され、
現在の模擬天守は1980年に再建されたものです。 

※模擬天守→当時の図面、写真がなく、姿も工法も他の天守を参考に作った天守

日の出の時間に合わせてカーステレオをスタートし、♪ジュピター♪を流しました。

櫓、門なども再建が進み雄大な城郭の姿が明るくなるのにつれてあらわれるのは
流れる曲により宇宙的な世界感の中で
日本の侍の時代が流れたということに感動しました。 

松山城

今治を出て松山についたのはAM7:00
松山城は堀端から見ると天守は遠い天空にあります。

標高132mの平山城であるため、山頂に白壁と黒い腰板の天守が小さく見えます。
現存一二天守のなかでもすべてにおいてバランスがよい城とされています。

秀吉の死後、家康に接近し関ケ原で奮戦した加藤嘉明が
城作りに着手、完成直前に会津藩に転封。
次の藩主 蒲生忠供は後継なく断絶後、松平定行(家康の異父同母弟松平定勝の子)が
城主となったため天守の瓦には徳川の城の証として三つ葉葵の家紋がみられます。

現存天守は落雷焼失後1854年幕末に再建落成されたものです。

天守開門AM9:00から逆算し朝の涼しいうちに歩いて登ろうと計画していましたが
既に日が高く陽ざしが強く登れないと判断
AM8:30まで待って観光化されたリフトを利用し中腹まであがり、
そこからは歩きになりました。

松山城の縄張りにはいろいろ仕掛けが考えられており非常に面白いです。

まず、大手門跡から登っていくと正面に天守が見えますが
そのまま天守方向に攻めていくと本丸側にたどりつけず
石垣上から狙われてしまうような縄張りがされています。
天守方向に進まず反対側の戸無門側に反転して進まなければ
天守に向かわれないようになっています。

戸無門を抜けると筒井門が現れ、
その門を開けようと敵兵は門を攻めることになります。
そうすると石垣のむこうの門が隠れており
城内側から兵士が出てきて筒井門を攻めている敵を後ろから攻めるのです。

筒井門、太鼓門を抜けると本丸の広い敷地があり
奥に大天守、子天守の連立天守が見えてきます。

連立天守や連立櫓のつくりは門に対し
『ますがた』に囲うように櫓や塀が囲んでおり、
マスに対し『てっぽうさま』がたくさん設けられ、
門を攻める相手に四方から鉄砲や弓で攻撃する縄張りで
この『ますがた』というのは多くの城でみられる
城好きが確認したがる縄張りの形です。

天守の中の展示では構造材の木組みの継手の展示もしていますが
現在の継手に変わっておらず、
現在の機械加工のプレカットの継手にも引き継がれており、
機械加工でできる加工に変更されていますが基本同じ形にみえます。

これが 日本全国に基本同じ加工が広まっているのが凄いです。
同じ大工集団から引き継がれ全国に広まっていったと考えるべきでしょうか。

唐招提寺などのように古い建物に対しみられた明治時代の大修理
近代の建築ヨーロッパのトラス工法などの工法が入れられたように
新しい技術の積極的に使おうとした考えがありました。

また現在でも耐震や制震などと新しい考えが入っていく中、
江戸時代、またそれ以前からの木組みにおける継手が
現在でも引き継がれ使われているのは感動です。

大天守に上がると遠くの道後温泉まで見わたせます。
リフト、ロープウェイもつかいましたが
陽ざしも強く結構歩いて汗で服もぬれて
天守から道後温泉が見えたので朝から道後温泉本館と思い
15分くらいでいきますが
保存修理工事中2F以上休館のようだったのであきらめました。

最近、城をまわると、神社仏閣の御朱印のような形の
登城記念符を登城日入りで購入することができます。
城巡りの人の中には御朱印のように集めている人もいるようです。
これから城巡りを始める人は 集めてみてはいかがでしょうか。

次は同じ愛媛県にある大洲城、宇和島城に向かいます。

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